太陽と月と花火と

不確かな記憶の中に生きている

ワイン舌族。

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ひとり暮らしのとき、朝はすごくのっそりだった。
歯を磨いて、顔を洗って、着替えをして家を出るまでのっそり。なんなら会社についてもしばらくはその状態だったりする。

 

ツイッターか何かでみたけど、幸せの沸点が低い夫婦の日々の会話を読んで気づいた。
今、好きな人と暮らしていることが、日々が単純に幸せだなって思った。

 

この間、彼女がブログで、毎朝元気で騒がしい人と暮らしていると投稿していた。(曲解かもしれないけど要約の一つとしては間違えてないよね。)
まぁ、確かに実際、「朝から元気だよね。」って何回か言われていて、そのたびに「君といるからだよ。」って他の人に聞かれたら恥ずかしいセリフで返してた。
あんまり気にしてなくてすっかり忘れてたけど、ブログをみて言われていたこと思い出したよね。

 

ただ単に「なんか朝から元気な人」みたいな書き方、なんなら謎の生き物認定されていたことにだいぶ不服だったから、彼女に「君といるから元気なだけで、ひとりだったら別に朝は元気じゃないよ。」って直接言ったら、「わー。」って逃げられた。

 

朝はフランス語を話すし、ワインが大好きだし、ワインに合う料理ももちろん大好きな君はワイン舌族だよ。

 

楽しい日々をありがとう。

寂しさを手放す寂しさ

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にしてるのー?って言葉が好きな人のおかげで好きになった。
パスタをソースから1,2回作れるくらいの距離で彼女は本を読んでいたり、勉強をしていたり、映画を観ていたりする。時には愛猫と追いかけっこしたりくっつきあってたりする。少し羨ましいって思うけれども、不思議とさっきまであった寂しさは愛おしさに変わっていたりする。

 

と、寂しさを感じ、好きな人の大きさを感じる距離と時間が無くなることへの寂しさを感じた。
感じてしまった。
うまくやっていけるだろうかという不安は確かにあったが、それは結構前に溶けて、一緒に住むことへの前向きな感情に上乗せされた。でも寂しさが愛おしさに変わることは間違いなく減っていくんだろうなって思った。それが寂しく、ちょっとした恐怖だった。

 

れども、似たような感覚を以前にも感じていて、頑張って思い出してみたら、付き合う前の感覚とよく似ていた。
これ以上関係が進んでしまうと、壊れてしまうんじゃないかというネガティブな妄想と恐怖。話をすることだけでこの上なく楽しくて、好きな人をさらに知ってさらに好きになっていくのも喜びだった。それが壊れてしまうんじゃないかって思った。結果として確かに関係性は変化したけれども、もっと近くで支えになれること、支えられること、手に、肌に、唇に、触れられること、どれも素晴らしかった。
愛なんて人間の種を残そうとするための働きにすぎないかもしれないけれど、イエスが生まれ、聖典が世界一売れてる本になっていて、少なくとも僕らの祖先は人間の種を残そうとする働きに性欲とは別の、愛という名前を付けたわけで。
僕はそれを信じたい。また信じたいと思った。

 

っくり少しずつ前に。きっとぶつかることもあるだろうけど、実際怖いけど、一番怖いのは好きな人がいなくなってしまうことだから、それは忘れずに一緒に進んでいけたらなって思う。
もしも神様がいて、人間をあえて不完全に設計したとするなら、柔軟性を持った完全を目指せるようにってことだと思う。欠けてるところや足りないところがない状態って、崩壊しやすい気がしてる。勝手にそんな気がしてる。
ちょうどそう感じていたら、今読んでいる本にほとんど答えであろう言葉あった。テオ・ヴァン・ゴッホテオドルス・ファン・ゴッホ、画家ゴッホの弟)から妻になる女性に宛てられた手紙の一部。

ありのままの自分たちを知り、互いに手を差し出して、1人でいるより2人でいるほうが強くなれると信じ、人生をともにすることによって互いの間違いを認め、許し合い、それぞれの良いところと高潔なところを育みながら希望を胸に戦う。

「1人でいるより2人でいる方が強くなれると信じ」って言葉に、長らく感じてなかった温かいけれど滾るような感動を覚えた。まぁ難しく書かれてるけど、穏やかな日々と君も同じように感じてくれてるといいなってことと、出来るだけ温かくそばに居たいって思ってる。

がーっと書き上げた午前1時、そろそろ彼女は映画を観終わる。

必要とされていないのではという呪い

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つからこの感情が芽生えたのか、どこから種子がやってきたのか、そんなことは全くわからないけれど、気づけば大きな影を落としてる。必要とされていないのではという感情。疑問。思考。

 

りゃスケールを広げて考えてしまえば、僕なんかいなくても世界は回るんだろうなって思うけど、自分の世界の中に自分がいない感覚とでもいえばいいのか。ただの虚無だったなって思う。
休めど休めど疲れは取れず。ジュクジュクと膿んだ場所へは手が届かず。あの手この手、「何か変わるかもしれない」と手当たり次第に思いつく限りを試しても、こんな状態で好手など出るはずもなく。
ただ何も考えない。難しいけど、それが時間が薬になるための手段だったと今は思う。

 

要とされていないのではという呪いに対して一番有効的だったのが、比べたり比べられたりしない場所だった。必要とされる場所ではなく、誰かと比べないし、誰かと比べられない場所。
きっと居場所ってそういう所なんだと思ったんだ。

 

職して2~3か月遅れた傷病手当が振り込まれた時くらいから、ようやく休むことが許された気がした。病院に行くと伝え、その日で休職すると伝えたメールの返信に、進捗や明日は出社できない?みたいな文言が書かれていたことは今でも忘れてないし、やっぱり日本語が読めない人なんだなって思ったし、今さら何を言っているんだって今は思う。ちなみにみんな知ってると思うけどミジンコも日本語は読めない。そして進捗についてはその前の日の日付でアップされてた。きっともう会社に居場所なんてなかった。
ほんの少し熱くなってしまってほんの少し脱線したけれども、2,3か月経ってようやく休むことが許された気がした。

 

ころが人間今度は何もしてないと何かをしなきゃって気持ちになってくる。これが「何も考えない」の難しいところだった。
みんなは働いている、働かなきゃ。この気持ちはとても強く心を乱した。焦らせた。
でも、それがそのままアクセルになるわけはなく、「また同じことになるのでは」という強い強いブレーキがかかって苦しかった。板挟み状態。
父や兄や好きな人たちの働く意味、その仕事を選んだ理由なんかを聞いた。割と共通してたのが人についてだった。みんな人が好きらしい。

 

職から6か月以上が経った今、焦りからではない働きたいという欲求から就職活動が出来ているのも、焦りを落ち着かせてくれ、比べることをせずに居場所を作ってくれた彼女がいたからに他ならない。働く意味がぼんやりとでも形になるための時間とヒントと居場所をくれた。休職中で復帰の目安も転職の目安もない私にだよ。なおかつ感情も不安定でうんざりさせたこともあるんだろうけどさ。
きっとここまで読んでくれた人は推し量ることが出来るかと思うけれど、返すことが出来ないくらいのものを貰ってるって他の投稿で書いた気がするけど、全然盛ってないでしょ。大げさじゃないよね。
ちなみに私は信念、技術、何かしらで尊敬できる人と仕事することにしたよ。*1

 

と、まぁ長ったらしく書いたけど、ようやく転職活動を始めました。

 

  

 
ちなみに休みすぎても働きすぎても少しずつ自分を失っていくんだろうけど、居場所がないまま生きてる方が危ういと思った。

 

*1:信念、技術って並べたけど、その技術を扱う上やその先をこだわりがある人は必然的に技術力は高い気がしてるけどね。

僕は出来るだけ長く、出来るだけ温かく、傍にいたいと思った。

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近は、僕と好きな人が出かけると曇ってることが多い。
どちらかが雨男なのか雨女なのかという話をしたけれど、どちらも心当たりがなく化学反応だね、なんて笑った。
どうやら天気を操るふたりになってしまっていたらしい。

 

々、いろんな場面でいまだ不確定な未来を想像することがある。
好きな人のコミュ力が高いおかげでその場面は結構あったりするのだけど、もしこうだったらなんて思って勝手に感慨深くなってることを彼女は知らないと思う。
転がってくコマの先は妄想か現実かを決めてしまうのか、写真を見返してたら映画インセプションを思い出した。今がすでに妄想かもしれないって思うことが多々ある中で、さらにその先の未来は。

 

去は変えられなくても、過去の受け止め方は変えることができるんだなと、聞いてはいたけれど疑っていた。
好きな人が言葉もなしに教えてくれていたことに、ある出来事についてあまり考えなくなっていた今気づいた。僕は出来るだけ長く、出来るだけ温かく、傍にいたいと思った。思っている。

 

きな人が大切にしていること、大事にしていること、それらすべてを理解は出来なくても受け入れたいと思っている。
趣味は多いくせに僕はこだわりがあるものが少ないほうだと思う。中庸でありたいし事を荒立てることが苦手であるのも手伝って、どちらでも構わないっていうのが多いと自覚してる。こっちの方が好きだけどねっていうのはあるけど、別にこだわってるわけじゃないからそっちが採用されなくてもいい、みたいな感じ。
だからってわけでもないかもしれないけど、好きな人がこだわっている瞬間を見ると尊敬の念すら感じてくる。ないものねだりなのかもしれない。こだわりが強ければ強いほど素敵な顔に感じるし、実際その時の集中してる様はすごく絵になっていると思う。

 

る一つの転換期が迫っていて、それに対して彼女は珍しく不安の色を覗かせたけど、大丈夫。
それに対して一人の問題なんてほとんどありはしないと思っているし、もし仮に何かがあったとしても一緒にどうすればいいのかを考えていけばきっと未来は明るいよ。
僕だってただただ浮かれてるわけじゃない。でも出来るだけ長く、出来るだけ温かく、君の傍にいたいと、強く思ってる。願ってる。だから大丈夫。

 

去の受け止め方を、気づかないうちに変えてくれた君には、もうすでに返せないんじゃないかってくらい本当にたくさんのことをもらってる。一生分。

 

いつの間にか居場所になっていて、その中でも大きな居場所を作ってくれた君へ。
嫌な気分の時も君の居場所としてありたい僕から。
いつもありがとう。

言葉よ花束たれと思いながら。

僕の好きな人が僕と出会うまでに。

 

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さっきちょっと泣いてきた。ずっとくすぶってるモヤモヤが時々どうしようもなく大きくなって、どうしたらいいのかわからなくなる。どうしたらいいんだ。眠ることすら上手くできない。

1月から上手く起きれなくなった。2月か3月かもう忘れたけど、遅刻をたくさんした。時には1時間以上遅れて行くこともあった。たしか4月が一番ひどくて、さすがに注意を受けた。もちろん相談した。メンタル的にきついって話を。どうにもならなかった。

発破をかけられたおかげか、6月は遅刻なく出勤できた。でも長くはもたなかった。

7月12日、会社じゃなく病院に行った。6月は最後のなんちゃらってやつだったのかもね。

社会に出て、9年近く働いて、仕事が嫌だなって思ったことは何度もあったけど、今回のは長い時間をかけて凝り固まっていたようで、どうすればいいのか本当にわからなかった。今もどうすればいいのかわかってない。とりあえず医者に助けを求め、長い休みを取ってる。原因はよくわかってる。でもどうしようもない。

 

バンドが、バンドに誘われてなかったら、この日まで持ち堪えることは出来ていなかったと思う。僕の好きな人が僕と出会うまでに。

むかつくことも思ってたよりはあった。

徐々に感情が動くのがわかったし、何より外に出るきっかけになってた。家賃が払えず実家に帰ってからも、全体練習の片道1時間半はワクワクが隣に乗ってた。

土日の朝10時からの練習は、平日に狂いそうになる生活リズムを正してくれたし、(火曜日の練習は逆にクソほど生活リズムを狂わしたけどね。)練習の間は余計なことをほぼほぼ考えなくて済んだ。そして、好きな人の歌を間近で聴けることは毎回心地よい。ついでに自分も歌えるって最高だよ。もちろんクソみたいなこともあるよ、集団行動って本当に難しい。集団行動苦手な奴らが集まって何かを作ろうってそれは難しすぎるでしょ。

部屋の隅っこでうずくまってる人たちがバンドを~みたいな話あったと思うけど、どっちかっていうと部屋の真ん中でぐるぐると常同行動してる人たちがバンドを~って感じかもしれない。や、僕だけか。

他の一人は隅っこ、一人は腹太鼓、一人は布団の中で間違いないな。

 

壁一枚、兄を気にして、嗚咽を噛み殺す午前2時前。聞かれたら濁して答えてたことを書いて、明日は、生き永らえさせてくれたバンドの初ライブ。1月には本当は初ライブになる予定だった初主催。ありがたいことに初主催の方は僕らのバンドの枚数分は上限ストップ。本当にありがとう。期待してたものと違って、がっかりしたらごめんね。それでも目一杯、精一杯やるよ。明日は僕が学生の頃に組んでたバンドメンバーに、すごいやつに出会ったんだよっていう紹介がしたくて始めたイベント。新しいバンドメンバーと出るよ。イベントも7年が経って、別々、一人一人歌ってた今のバンドメンバーとも知り合って7年が経って。

あるべきとこにあるようになるのかもしれないし、なるようになるのかもしれないなって思う。戦友みたいな好きな人たちが辞めない限りは、食いしばってでも続けていきたい。

 

泣く、好きな人に連絡を取る、感情をのせてみる。モヤモヤが少し小さくなってきた。眠れそう。今日もありがとう。

明日は好きな人たちとのバンドでの初ライブ。

音楽に救われましたって、そんなに良い物なのかって割と思ってたけど、気づいたら音楽に救われてたよ。間接的にね。

 

ちなみに写真の右と左が好きな人たち。

最近のこと

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はあの手この手で気持ちを伝えようとしていて。
あっちこっちいろんなものを拾って整えて磨いたりしてるような感じで、もちろんそうやってる時間も好きなんだけど、君は引き出しをそっと開けて大事にしてたものをさらっと渡すような感じで伝えてくる。
僕にはないものを持ってて素敵だなって本当に思ってる。

 

わりと人生でどうしようもない時期にきていて。
どん底って表現はちょっと正しくはないと思ってる。どうしようもない環境があるわけじゃなく、どうしようもない自分がいるから、なんとなくどん底って感じではない気がしてる。何年後かに転換期だったなって思えたらいいなって思えてはいる。
その何年後かに君が、あの時期はみきおくんとしてはどうしようもない時期だったけど、転換期だったね。って隣で言ってくれると嬉しいなって書いてて思った。

 

が君の大切な時間を使って一緒にいてくれてるのがすごく嬉しい。
そしてそんな大切な時間を使ってこの文章を読んでるのかと思うと更に嬉しい。
今日から早く寝ようと思って就寝時間から逆算して行動してたのに、結局夜更かししてる。そんな時間も無駄じゃないかなって思えたりするから不思議だよね。
それなのに、もっと一緒に居たい過ごしたいって思ってしまうあたり人間って欲深いなって、先祖だとか種族の性のせいにしたりしてる。
返してくれるLINEだとか今後のことを考えてくれてることだとか、一緒にいる以外でも大切な時間を使ってくれてること、本当にありがとう。

 

白が怖くなってたことに君といて気づいた。
歌もそうだけど空白が怖くなってた。好きな人と一緒にいるときの間は全然怖くないくせに、一人でいるときはすごく怖がってる。好きな人を見ていて一人でいるときの間も楽しめるようになろうと思った。なろうっていうか心がけていこうと思う。
いろんなものから取り残されてる感、焦りが化け物として出てくるなんて思いもしなかった。生活できないのではと感じる恐怖とはまた別の怖さ。焦って行動しても良いものではないよなって思う自分もいるっちゃいるけどね。

 

分がどしようもない人間であることをようやく自覚し始めてる。
でもね、先に言っておくと、自分よりもどうしよもない人間がいることも知ってるよ。ただ聖人君子を理想において生きることはやめようと思った。何でも出来るは何にも出来ないって言葉があった気がする。おじいちゃんがよく言ってた言葉が、一芸身を助けるだった。ちょっと頑張ったら出来るが増えてくと、めっちゃ頑張るものへの集中力や時間が割けない。そんな天才じゃない。
だから出来ないをもっとはっきりとさせた方が良いかもしれないと思った。聖人君子を理想にするはやめた。八方美人は嫌われるのまだまだ怖いからやめれないと思う。
今はどうしよもないけど、何年後かはどうしよもないけど、これはすごいって人として君のそばにいたいと思い始めてる。

 

最後まで読んでくれてありがとう。

 

嘘をついたかもしれない。

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の勢いとかじゃない。ただ自分で気づいてなかっただけのこと。好きな人にほんの少し嘘をついたかもしれない。後でちゃんと謝ろうと思う。ちなみに浮気だとかそういうものではないので、そのざわつけた心を落ち着けて欲しい。
ちなみに酒を飲んだ場で話をした内容でもないけど、写真がね、照明がいい感じのいい写真でしょ?

 

の嘘をついたのかってことだけど、ツイッターではすでにツイートしたんだけど、おっぱいについてなんだよね。
乳房。「ちぶさ」とも「にゅうぼう」とも読めるよね、日本語って不思議だね。医療の現場で部位を指すときに「にゅうぼう」って読むみたいな話もネットには落ちてたね。官能小説を読むときの僕の脳内では「ちぶさ」で再生されてるよ。ちなみに官能小説は1冊隠れて読んでたことがあるよ。タイトルすら思い出せないけど、ちぶさについて語ろう。乳房について。

 

きな人に聞かれたんです。「おっぱいは大きいほうが好き?」って。
その時は本当に「昔は好きだったけど別に今は大きさは気にしてないかな」「でもシルエット*1的に綺麗に見えるから無意識に大きい人をよく見てたかも」って思ってた。でもね、どうやら違ったんです。おっぱいのように大きくは違わないけど。

 

分の性癖を認識することは一つ自分を見つめることと同じである。
名言っぽいでしょ?思わずググったよね、自作のつもりが既出だったらどうしようって思ったから。ちなみに「男は目で恋をし、女は耳で恋に落ちる」ってのはウッドロー・ワイアットって人の名言らしいよ。どうやら男性は視覚で判断してるみたいだね。
やはり私もそうらしく、別に気にしてるつもりはなかったというか、体よく言えば「好きな人についてる乳房なら大きくても小さくても好きなので、小さいからといってマイナスになることはなかった」だった、んですが。

 

、私は大きい乳房が好き。
理由は割とシンプルで、好きな人の乳房が着やせするタイプだったらしく。別に自慢じゃないよ、妬みは他所でよろしく。小ぶりだと思っていたお椀が割とお米を入れられることができて、炊き立てほかほかのご飯を大盛りに入れてお腹いっぱいに食べる。そういう感じになってる。別に変な意味じゃないんで。嫌いにならないでね。ってところまでがテンプレだよね。
話が少しそれたけど、結局は好きな人に(思ってたよりも)大きな乳房がついてるということが発覚し、あ、大きな乳房好きだってなったって話。ちなみにカップ数聞いて隠せないほど驚いてしまったけど、本人はそこまで気にしてなかったみたいで特に怒られたり悲しそうな顔をしたりとかはなかったよ。余裕あるね。大きいね。素敵。

 

きい乳房、それは大きな恩恵である。って声を大にして言いたい。
好きな人が小さな乳房でマイナスになることはなくてもプラスにもならず、大きな乳房だとプラスになる。それが今の私であるので、「おっぱいは大きいほうが好き?」との問いに「気にしてない」とはもう答えられないし、「気にしてない」って答えたとき既にこの気持ちを無意識に隠していたかもしれないので、嘘をついたかもしれない。ってことです。

 

わりに
段落だとか改行だとか今まで意識してこなかったけど、今回はだいぶ読みやすいなって思った。
あと内容がポップなのも合わさってって感じかな。

 

いつもありがとう。

 

*1:シルエットってフランス語らしいよ、知らなかった。シルエットをずっとシェルエットって言ってたから書くにあたってどっちが正しいか調べてたらわかった。