太陽と月と花火と

不確かな記憶の中に生きている

どうやら。

f:id:ucatsmikio:20181110025338j:plain

うやら最近の僕は僕を生きているみたいです。

誰に言われたわけでもなく好きな人を好きになり、やったことのないいろんなことをやってみたり、初めてといってもいいほどの安心感を貰っていたり。

気づけば「しなきゃやらなきゃ」のきつく縛られたロープから解放されてた。まだ鉛みたいな思い出は重たいままだけど、それも軽くなりつつあって、これまでの人生とこれからの人生を愛したくなっていた。自分の人生を愛していきたい。これからを迎える下地になったこれまでと、これまでよりも明らかに優しく愛おしいこれからを。

 

謝と愛しさを形にすることってなかなか難しい。言葉が見つからなくても、言葉にならなくても、それでも言葉にしたい。もちろん行動も大事だって知ってる。それでもやっぱり言葉にしたい、文字にしたい、声にしたい。それも行動の一つだと思うし何より、きっとそれが私なのだと思う。

ありがたいことに現代は電話も気軽にできるし文字だって簡単に送れる。すぐ届く。だから好きな人が落ち込んでる時なんかはすぐ伝わるし、もちろん相手が伝えてくれなきゃわからない部分もあるけれど、とにかく距離も時間も越えて*1私たちはお互いの距離をはかり、縮めることができるようになった。

そんなやりとりの中で時にはこんな文章みたいに長文で表したくなる。喜び、感謝、愛しさ。この内に広がるじんわりとした安らぎ、落ち着き、安心感、なんて書いてたら家族みんなで食卓を囲んでお祈りをささげるハッピーな宗教みたいだね。とにかくうまく説明できる気がしない、この気持ちを、どうにかして届けたいって思ってる。頭の中で考えてるだけで優しい気持ちにさせてくれる君に。

 

がどれだけ変わったか、どれだけ先のことに対する見方が変わったか、LINEで送る嬉しいって言葉をどんな顔でどんな気持ちで送ってるのか、きっと半分も伝わってないと思う。もしかしたらばっちり伝わっているかもしれないけど。人間、そんなもんだと思う。でもね半分しか伝わってないならさらに倍で伝えてみようと思う。そうすれば元々の分が伝わると思うから。

今の私ができることが少ないことは重々承知の助。そして未来に過度な期待を乗せて今が嘘になることも嫌の助。ただ約束できることがあるとすれば、もう少し待っててくれたら追いついて隣を歩けるようになるからねってことくらい。もちろん今出来ることに対しても精一杯やるよ。

 

優しい気持ちにさせてくれる君と、これからを。

 

 

 

 

なんだかわかりづらいラブレターみたいだね。

 

 

わかりづらいラブレターって響きいいね、ブログタイトルにしようかなって思った。

*1:タイムロスがほぼないという意味で

難しいことを考えたがってしまって。

f:id:ucatsmikio:20181030005705j:plain

よく難しいことを考えたがってしまう。

そのことにすら、もう性格だから仕方ない、なんて割り切ることすら出来やしない。

例えば、初でもない日の出を見たときに一日の始まりが確かにあるってことや、数年前の元旦に日の出を見た人たちはどうしているのだろうかなんて考えてしまった。もちろん人生で数えられるくらいしか見ないはずの日の出にちょっとした感動を覚えたりもしたけどね。

一分一秒、瞬きの間、好きな人がいる今や独りでいる今をもっと意識して生きていたいって思ってる。頭の中でぐるぐるっと2,3周なんかしてるから、少しテンポが遅れてるんだと思う。最近は生きるテンポが遅れてる気がしてならない。これでもよくなったほうだけどね。

 

今日は何度も冒頭で中断しては忘れた頃にまた冒頭を読み返していた小説を開いた。

30ページは読んでいたと思ってた冒頭は、実は10数ページしか読んでいなかったし、本の中では登場人物たちや景色が1文ごとに進んでいたけど、私の中で物語が進む1行を読んだときは、ついに物語が動き出したと変な感動を覚えた。

ぼんやりとした影から輪郭が浮かんで、だんだんと表情が補完されていく。登場する人たちの姿勢まで想像できてきたら後はもうどっぷりですよ。

主人公が語る物語であることにだいぶ後から気づいて、作者がその男の子であるかのように錯覚したところで追体験の意味を実感した。

 

誰に語るでもなく、気取るでもなく、それでいてつらつらと書かれた物語は、秒針の音は小さいけれど何故かしっかり動いていると思える時計を眺めているようだった。薄味のやけに温かい味噌汁に例えても差異は大きくないと思う。その底には味噌の塊があるのかが今はちょっと気になっている。

そのまま塊もなく、あぁ、温かかった。っていう文章を書きたいって思った。別に飲んでも飲まなくてもその人の人生に大きな影響なんか与えなくて、温かかったってイメージだけが記憶に残るやつ。最近はそんなものにすごい憧れてる。文章だけじゃなく。

 

何が言いたいんだろう。よくわかんないけどちょっと眠くなってきちゃった。

そんなやつ。

 

冒頭に戻るけど、前は逆にめちゃめちゃテンポがはやかった。遅くもなく早くもなく、ちょうど良いと思える時間はかなり少ない。好きな人といるときにだけ、今はこのままでって思える。今日読み進めた主人公が吐き出していた「草舟」、いつかは僕も流される穏やかさを身に着けたいと思った。

 

脈絡はないけれど、好きな人が長生きしそうなので健康でいようと思ったことも今日の出来事。

 

 

軽いステップを踏んであなたの元に帰る、そんな夢を見るのも悪くないかな。ちょっと寂しい夜くらいは。

と思ってたら連絡来て寂しくなくなったよね。

状況はどうだい。

f:id:ucatsmikio:20181023033559j:plain

じんわりと体に広がっていく幸せがあることを初めて知った。

 

誰が運転してたのか知らないけれど自分の車の助手席に座って名護に向かってる途中の写真。正確には一人心当たりがいるのだけど、元気でやっているだろうか。

 

1年経って、2年経って。ようやく(もしかしたら割と早く)、立ち直り始めてるのかもしれない。ただ、まだやっぱりふとした瞬間に思い出が黒く濁り始めてモヤっとしたものがこみあげてくる時はあるよね。

 

 

状況はどうだい?

こっちは最近、元気にやってるよ。いろんな嫌なことから逃げたり辞めたり、好きなことだけをやったり。ところでさ、居場所だと思ってた所がちょっと違ってた時のダメージは大きいよね、自分が傷つくような場所は居場所だなんて呼べるのかい?でもよくわかる、僕も同じように他に行き場所がないって思ってたよ。

無理に誰かに合わせる必要なんてこれっぽちもないし、だからといって独りで居続けるってのも少し違う気がするよね。合わせる必要はないと思うけど、理解する必要はあると思うんだ。難しいかもしんないけど。

逃げるって言っても、逃げた先が必ずしも肌に合う場所になるってことはないから、逃げるってのは別の場所で戦う可能性だって秘めてる。だから怖いんだと思う。逃げて、その先はあるの?って。見えないよね。でも「逃げ続ける」のも手だと今は思ってる。逃げてその先がなかったら、また逃げる。逃げればいいだとか逃げた方がいいなんて無責任なことは言えない、君の人生だから自分で決めた方が良いよ。

居場所を探すために出ていく人を「逃げる」って表現するのって、引き留めたい人か羨ましく思ってる人が言ってるだけかもしれないって書いてて思った。

昔よく考えてたことがあって、後ろに行く人を「戻ってる」って捉えるのは進む方向が違うだけで、「戻ってる」様に見えるその人からしたら「進んでる」のかもしれない。方向が違うだけ。居場所が違っただけ。

 

 

親の話を聞いた、先生の話を聞いた。

兄の話を聞いた、友達の話を聞いた。

昨日まで顔も知らなかった人の話を聞いた。

好きな人の話を聞いた。

 

いろんな人生がありすぎる。上に上がいるように下にも下がいる。お金と時間を使えるようになりだしてからの、それぞれの人生を一緒くたにできるもんならしてみやがれってんだ。

自分の痛みは他と比べる必要なんてないよ。痛けりゃ痛いって。どうせ上も下もいて、有象無象、種々雑多で比べてもキリがないのよね。テンポが良いから入れただけ、いろいろがいろいろってことよ。

 

 

どっちかっていうと特定の人への文章ではなく、1年前や2年前、半年前の自分に向けて書いたけど、その時の自分みたいに今に生きづらさを感じてたり、息がしづらかったりする人にこっそり届くといいなって思ってる。

 

「半分ずつ」そんな言葉がすんなり出てくる人がいる、それだけで素晴らしいよなって思った。

 

逃げた先、もとい。

探した先に君がいてよかった、ありがとう。

 

蟻がすごい。(蟻が苦手な人は見ない方が吉)

f:id:ucatsmikio:20181019203618j:plain

仮に写真の蟻をタイプ1とする。ちなみに、お尻の半透明で黄色くみえるのは彼らがリンゴを吸っているから。上手に吸う個体は5秒くらいでみるみるうちにお尻を大きくさせていたよ。

 

中学の時に家(正確には庭)にいた蟻ではなくなっていた。その蟻をタイプ0とすると、彼らは「タイプ1と同じくらいの大きさで、赤茶色で、つぶしにくいほど身体が頑丈」である。

 

実は台風が過ぎた後に、家の中でもよくタイプ1を見かけるようになっていたのだけれど、お家の事情によりアリの巣コロリなどは置いていない。

 

 

蟻のすごいところその1

5分もしないうちに仲間が寄ってくる。

どうやって意思伝達してるんだろう。フェロモン?それとも頑張って巣に戻って知らせてる?

 

蟻のすごいところその2

外で見かける蟻は全員一生懸命。

2割は実はサボってるらしいけど、巣の中でなのかな。外で見かける蟻はサボってる感じが一切ない。一生懸命。

ちなみにサボってる蟻は、有事の際に力を発揮するためではないかって話らしいよ。

 

蟻のすごいところその3

仲間が死んでても恐れない。

もし、蟻のように不可解な形で人が死んでたらめちゃめちゃ怖いよね。

 

 

パワーすごいし、壁に平気で張り付くし、蟻すごいよね。

そんで、最近はアリの中でも部族の壁を越えて噂が広まってきたのか、タイプ0~タイプ3までのアリを目撃した。タイプ0を中学生ぶりに目撃した時は結構嬉しかったなぁ。噛まれたら痛いやつだけど。

今のところ全4種類のアリがいる。実は3種類が同時に居合わせてことがあって、観察していたのだけれど、特にお互い我関せずで仕事に励んでいたよ。平和だった。

 

観察を続けたくて家族に黙っておこうと思ったけど、タイプ1が家の中にお引っ越ししようとしてるっぽいのを今日見つけてしまったので、そのうちアリの巣ころりが設置されると思う。うじゃうじゃしてるのはさすがにみてられない。恐怖を感じるよね。

 

リンゴの蜜を吸って少し鮮やかになった蟻さんはちょっと可愛かった。飼いたいとは思わないけど。

 

ちなみにリンゴは水洗いして食べました。僕じゃないけど。

 

 

今日はMステにBUMP OF CHICKENが出てるらしい。

テレビは占拠されているのでお察しください。

 

 

涼しくなって暑くなって涼しくなってきたこの頃、昨日は、月の光を反射させた海も半分よりちょっと大きい月も、オレンジ色を帯びていく様も綺麗でした。

楽勝なんかじゃない。

f:id:ucatsmikio:20181019043639j:plain

好きな人が、俳優や女優をあまり知らない僕に、ピース オブ ケイクの多部未華子がめっちゃ可愛いと多部未華子をおすすめしてきた。もっとその人のことを知りたいと思ったのもあって「ピース オブ ケイク」を観てみた。

 

観た感想だけど、まず菅田将暉がカッコいい。綾野剛よりタイプである。

そして多部未華子は別にタイプではないんだなって思った。

峯田さん、割とよかったなぁ。

ただ、後半の多部未華子は何回か確かに可愛いかもって思ったけど、やっぱりタイプではないみたい。

 

最初から結構なエロがあり、バイオレンスな描写もあり、ちょっとハラハラしてたけど、後半はえっちぃねぇ!って感じのシーンが増えても、バイオレンスなシーンはなくてよかった。結構にえっちぃシーンがえっちくて、モロ見えのアダルトビデオよりもえっちかったよね。逆にね。

 

成田あかりの描写が物語の中の立ち位置と釣り合ってない感じがしてたので、この記事書く前にいろいろ調べてみたよ。

そしたらね、多部未華子が演じた「梅宮志乃」が原作では「巨乳」設定じゃないですか。そんな要素なかったよ?ちょっと見てみたかった気もする。成田あかりの描写がどうとかどうでも良くなっちゃった瞬間でした。

 

まぁ、最後がハッピーエンドだったってのもあって、ちょっとゆるっとふわっとした作品だったけど、後味良くて、観終わったあとに「楽しかった」ってなった。いい映画。

 

 

作品のタイトルの「ピースオブケイク」は簡単とかたやすいとか楽勝だとかそういう意味を持つらしいけど、恋愛のタイトルにはちょうどいいよね、ケーキって甘いし、恋愛を皮肉った、楽勝でしょ?みたいな感じとか。

簡単なはずで、シンプルなはずなのに、複雑に難しくなったりするのってなんでだろうね。人間って単純にはいかなくて難しい。

  

せめて好きな人の前ではシンプルでいたいって思うのでした。

日記の始まり。

f:id:ucatsmikio:20181018033403j:plain

コレ、いい写真だよね。僕が撮ったわけじゃないけど。

 

日常を綴るブログがなかったので作ってみました。

「入って出て」というのは何かしらインプットがあってアウトプットの場としての意味でつけみた。最初は、IN OUTなんて名前にしようとしてたけど、実際に入力してみたらカッコつけが過ぎるなって思ったので「入って出て」。

 

29になる今まで、いろんな書き出し場所を作っては捨て作っては捨てをしてきてる気がするけど、30にして立つなんていうし、今回は息の長い場所にしたい。

  

思い出話だとかちょっとコネコネしてる話はこっち。

 

もう少し確かな記憶を書きだしていこうと思ってる。って書きながらしょっぱなの画像が約1年前の写真っていうね。笑

 

  

どうやら好きな人がワクワクするような職場への就職が決まったそうで。

「どうやら」って書くとちょっと遠くにいる感じあるよね、ほんとは実は遠くなんかないよ。
その人の言葉で言えば、「収まるところに収まった」なのだけれど、いい響きだなって思う。

お仕事の面でいろいろと焦りを感じていたけど、ちょっと様子を見ることにした。なかなかにいろんなことをこの数年で体験してきて、ようやく最近になって「ハッピーな結末を迎えるための、偶然ではなく必然な出来事だった」と言えるような未来に向かっていきたいって思ってきているから。

そのために今をどう過ごそうかって考えてる最中で、現状として「インプットとアウトプット」をとにかく増やす。がさらに見えてくるものがある気がしてる。

このブログもその一環としてのスタートだね、スタートは。

 

 

始まりはこんなもんでいいかな。

もう一つの方のブログ説明を借りてちょっとカッコつけるなら。

「不確かな記憶どころか、不確かな日々の中で生きている。」

ってしめるね。

 

 

書いてて思ったんだけど、記憶で生きていたのが日々の中で生き始めてるってすごいね。

オレンジ色の話

寝る前に灯りを落とす。

蛍光灯を抑え、直視するにはまぶしい電球色が部屋の中に影を作る。

 

温かみがあるって言ったらそれまでだけど、オレンジの光に落ち着いてふとまだ観れない映画のことを思い出した。

 

https://www.instagram.com/p/BnMZxPThtJD/

 

続きを読む