太陽と月と花火と

不確かな記憶の中に生きている

どうやら。

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うやら最近の僕は僕を生きているみたいです。

誰に言われたわけでもなく好きな人を好きになり、やったことのないいろんなことをやってみたり、初めてといってもいいほどの安心感を貰っていたり。

気づけば「しなきゃやらなきゃ」のきつく縛られたロープから解放されてた。まだ鉛みたいな思い出は重たいままだけど、それも軽くなりつつあって、これまでの人生とこれからの人生を愛したくなっていた。自分の人生を愛していきたい。これからを迎える下地になったこれまでと、これまでよりも明らかに優しく愛おしいこれからを。

 

謝と愛しさを形にすることってなかなか難しい。言葉が見つからなくても、言葉にならなくても、それでも言葉にしたい。もちろん行動も大事だって知ってる。それでもやっぱり言葉にしたい、文字にしたい、声にしたい。それも行動の一つだと思うし何より、きっとそれが私なのだと思う。

ありがたいことに現代は電話も気軽にできるし文字だって簡単に送れる。すぐ届く。だから好きな人が落ち込んでる時なんかはすぐ伝わるし、もちろん相手が伝えてくれなきゃわからない部分もあるけれど、とにかく距離も時間も越えて*1私たちはお互いの距離をはかり、縮めることができるようになった。

そんなやりとりの中で時にはこんな文章みたいに長文で表したくなる。喜び、感謝、愛しさ。この内に広がるじんわりとした安らぎ、落ち着き、安心感、なんて書いてたら家族みんなで食卓を囲んでお祈りをささげるハッピーな宗教みたいだね。とにかくうまく説明できる気がしない、この気持ちを、どうにかして届けたいって思ってる。頭の中で考えてるだけで優しい気持ちにさせてくれる君に。

 

がどれだけ変わったか、どれだけ先のことに対する見方が変わったか、LINEで送る嬉しいって言葉をどんな顔でどんな気持ちで送ってるのか、きっと半分も伝わってないと思う。もしかしたらばっちり伝わっているかもしれないけど。人間、そんなもんだと思う。でもね半分しか伝わってないならさらに倍で伝えてみようと思う。そうすれば元々の分が伝わると思うから。

今の私ができることが少ないことは重々承知の助。そして未来に過度な期待を乗せて今が嘘になることも嫌の助。ただ約束できることがあるとすれば、もう少し待っててくれたら追いついて隣を歩けるようになるからねってことくらい。もちろん今出来ることに対しても精一杯やるよ。

 

優しい気持ちにさせてくれる君と、これからを。

 

 

 

 

なんだかわかりづらいラブレターみたいだね。

 

 

わかりづらいラブレターって響きいいね、ブログタイトルにしようかなって思った。

*1:タイムロスがほぼないという意味で