太陽と月と花火と

不確かな記憶の中に生きている

状況はどうだい。

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じんわりと体に広がっていく幸せがあることを初めて知った。

 

誰が運転してたのか知らないけれど自分の車の助手席に座って名護に向かってる途中の写真。正確には一人心当たりがいるのだけど、元気でやっているだろうか。

 

1年経って、2年経って。ようやく(もしかしたら割と早く)、立ち直り始めてるのかもしれない。ただ、まだやっぱりふとした瞬間に思い出が黒く濁り始めてモヤっとしたものがこみあげてくる時はあるよね。

 

 

状況はどうだい?

こっちは最近、元気にやってるよ。いろんな嫌なことから逃げたり辞めたり、好きなことだけをやったり。ところでさ、居場所だと思ってた所がちょっと違ってた時のダメージは大きいよね、自分が傷つくような場所は居場所だなんて呼べるのかい?でもよくわかる、僕も同じように他に行き場所がないって思ってたよ。

無理に誰かに合わせる必要なんてこれっぽちもないし、だからといって独りで居続けるってのも少し違う気がするよね。合わせる必要はないと思うけど、理解する必要はあると思うんだ。難しいかもしんないけど。

逃げるって言っても、逃げた先が必ずしも肌に合う場所になるってことはないから、逃げるってのは別の場所で戦う可能性だって秘めてる。だから怖いんだと思う。逃げて、その先はあるの?って。見えないよね。でも「逃げ続ける」のも手だと今は思ってる。逃げてその先がなかったら、また逃げる。逃げればいいだとか逃げた方がいいなんて無責任なことは言えない、君の人生だから自分で決めた方が良いよ。

居場所を探すために出ていく人を「逃げる」って表現するのって、引き留めたい人か羨ましく思ってる人が言ってるだけかもしれないって書いてて思った。

昔よく考えてたことがあって、後ろに行く人を「戻ってる」って捉えるのは進む方向が違うだけで、「戻ってる」様に見えるその人からしたら「進んでる」のかもしれない。方向が違うだけ。居場所が違っただけ。

 

 

親の話を聞いた、先生の話を聞いた。

兄の話を聞いた、友達の話を聞いた。

昨日まで顔も知らなかった人の話を聞いた。

好きな人の話を聞いた。

 

いろんな人生がありすぎる。上に上がいるように下にも下がいる。お金と時間を使えるようになりだしてからの、それぞれの人生を一緒くたにできるもんならしてみやがれってんだ。

自分の痛みは他と比べる必要なんてないよ。痛けりゃ痛いって。どうせ上も下もいて、有象無象、種々雑多で比べてもキリがないのよね。テンポが良いから入れただけ、いろいろがいろいろってことよ。

 

 

どっちかっていうと特定の人への文章ではなく、1年前や2年前、半年前の自分に向けて書いたけど、その時の自分みたいに今に生きづらさを感じてたり、息がしづらかったりする人にこっそり届くといいなって思ってる。

 

「半分ずつ」そんな言葉がすんなり出てくる人がいる、それだけで素晴らしいよなって思った。

 

逃げた先、もとい。

探した先に君がいてよかった、ありがとう。