太陽と月と花火と

不確かな記憶の中に生きている

難しいことを考えたがってしまって。

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よく難しいことを考えたがってしまう。

そのことにすら、もう性格だから仕方ない、なんて割り切ることすら出来やしない。

例えば、初でもない日の出を見たときに一日の始まりが確かにあるってことや、数年前の元旦に日の出を見た人たちはどうしているのだろうかなんて考えてしまった。もちろん人生で数えられるくらいしか見ないはずの日の出にちょっとした感動を覚えたりもしたけどね。

一分一秒、瞬きの間、好きな人がいる今や独りでいる今をもっと意識して生きていたいって思ってる。頭の中でぐるぐるっと2,3周なんかしてるから、少しテンポが遅れてるんだと思う。最近は生きるテンポが遅れてる気がしてならない。これでもよくなったほうだけどね。

 

今日は何度も冒頭で中断しては忘れた頃にまた冒頭を読み返していた小説を開いた。

30ページは読んでいたと思ってた冒頭は、実は10数ページしか読んでいなかったし、本の中では登場人物たちや景色が1文ごとに進んでいたけど、私の中で物語が進む1行を読んだときは、ついに物語が動き出したと変な感動を覚えた。

ぼんやりとした影から輪郭が浮かんで、だんだんと表情が補完されていく。登場する人たちの姿勢まで想像できてきたら後はもうどっぷりですよ。

主人公が語る物語であることにだいぶ後から気づいて、作者がその男の子であるかのように錯覚したところで追体験の意味を実感した。

 

誰に語るでもなく、気取るでもなく、それでいてつらつらと書かれた物語は、秒針の音は小さいけれど何故かしっかり動いていると思える時計を眺めているようだった。薄味のやけに温かい味噌汁に例えても差異は大きくないと思う。その底には味噌の塊があるのかが今はちょっと気になっている。

そのまま塊もなく、あぁ、温かかった。っていう文章を書きたいって思った。別に飲んでも飲まなくてもその人の人生に大きな影響なんか与えなくて、温かかったってイメージだけが記憶に残るやつ。最近はそんなものにすごい憧れてる。文章だけじゃなく。

 

何が言いたいんだろう。よくわかんないけどちょっと眠くなってきちゃった。

そんなやつ。

 

冒頭に戻るけど、前は逆にめちゃめちゃテンポがはやかった。遅くもなく早くもなく、ちょうど良いと思える時間はかなり少ない。好きな人といるときにだけ、今はこのままでって思える。今日読み進めた主人公が吐き出していた「草舟」、いつかは僕も流される穏やかさを身に着けたいと思った。

 

脈絡はないけれど、好きな人が長生きしそうなので健康でいようと思ったことも今日の出来事。

 

 

軽いステップを踏んであなたの元に帰る、そんな夢を見るのも悪くないかな。ちょっと寂しい夜くらいは。

と思ってたら連絡来て寂しくなくなったよね。