太陽と月と花火と

不確かな記憶の中に生きている

必要とされていないのではという呪い

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つからこの感情が芽生えたのか、どこから種子がやってきたのか、そんなことは全くわからないけれど、気づけば大きな影を落としてる。必要とされていないのではという感情。疑問。思考。

 

りゃスケールを広げて考えてしまえば、僕なんかいなくても世界は回るんだろうなって思うけど、自分の世界の中に自分がいない感覚とでもいえばいいのか。ただの虚無だったなって思う。
休めど休めど疲れは取れず。ジュクジュクと膿んだ場所へは手が届かず。あの手この手、「何か変わるかもしれない」と手当たり次第に思いつく限りを試しても、こんな状態で好手など出るはずもなく。
ただ何も考えない。難しいけど、それが時間が薬になるための手段だったと今は思う。

 

要とされていないのではという呪いに対して一番有効的だったのが、比べたり比べられたりしない場所だった。必要とされる場所ではなく、誰かと比べないし、誰かと比べられない場所。
きっと居場所ってそういう所なんだと思ったんだ。

 

職して2~3か月遅れた傷病手当が振り込まれた時くらいから、ようやく休むことが許された気がした。病院に行くと伝え、その日で休職すると伝えたメールの返信に、進捗や明日は出社できない?みたいな文言が書かれていたことは今でも忘れてないし、やっぱり日本語が読めない人なんだなって思ったし、今さら何を言っているんだって今は思う。ちなみにみんな知ってると思うけどミジンコも日本語は読めない。そして進捗についてはその前の日の日付でアップされてた。きっともう会社に居場所なんてなかった。
ほんの少し熱くなってしまってほんの少し脱線したけれども、2,3か月経ってようやく休むことが許された気がした。

 

ころが人間今度は何もしてないと何かをしなきゃって気持ちになってくる。これが「何も考えない」の難しいところだった。
みんなは働いている、働かなきゃ。この気持ちはとても強く心を乱した。焦らせた。
でも、それがそのままアクセルになるわけはなく、「また同じことになるのでは」という強い強いブレーキがかかって苦しかった。板挟み状態。
父や兄や好きな人たちの働く意味、その仕事を選んだ理由なんかを聞いた。割と共通してたのが人についてだった。みんな人が好きらしい。

 

職から6か月以上が経った今、焦りからではない働きたいという欲求から就職活動が出来ているのも、焦りを落ち着かせてくれ、比べることをせずに居場所を作ってくれた彼女がいたからに他ならない。働く意味がぼんやりとでも形になるための時間とヒントと居場所をくれた。休職中で復帰の目安も転職の目安もない私にだよ。なおかつ感情も不安定でうんざりさせたこともあるんだろうけどさ。
きっとここまで読んでくれた人は推し量ることが出来るかと思うけれど、返すことが出来ないくらいのものを貰ってるって他の投稿で書いた気がするけど、全然盛ってないでしょ。大げさじゃないよね。
ちなみに私は信念、技術、何かしらで尊敬できる人と仕事することにしたよ。*1

 

と、まぁ長ったらしく書いたけど、ようやく転職活動を始めました。

 

  

 
ちなみに休みすぎても働きすぎても少しずつ自分を失っていくんだろうけど、居場所がないまま生きてる方が危ういと思った。

 

*1:信念、技術って並べたけど、その技術を扱う上やその先をこだわりがある人は必然的に技術力は高い気がしてるけどね。