意地っ張りのはなし
結構な意地っ張りだと気づいている。
昨日と今日、全然筆が進まない。この場合はタイピングが進まないでいいのかな。
それでもどうにかこうにか続けたいと思ったので、その意地についての話を残そうと思った。
しかし、まずは自分を褒めてあげたい。
ほとんどのものが習慣づけする前に飽きてしまう。いわゆる三日坊主。
そして、一週間スパンだと50人近くが見に来てくれていて、1日スパンだと16人近くは毎日見てきてくれている。っぽい。
はてなブログのアクセス解析だと1日30近くなのだけれど、googleアナリティクスの方が確実だと思う。といっても正確にはユーザーではなくデバイス、もっというとクッキーごとになるかとは思うけれど。
突然何の気なしに始めたかと思われてるかと思うけれど、今日はちょっと説明しようと思う。
始めた理由
いろいろなことが自分の身に起きた、それがすごく破滅的ないろいろな出来事だった。見出しつけてみたらすごくはてなブログっぽい、すごい。意識高そう。
一時期は、何も信じられず、というか、頼れず、かつ自分をどうするべきかもわからず、ただせめてそれ以前の生活を続けようと過ごしていた。それだけでもすごくパワーがいることだった。
ぽっかり穴が開いたというレベルではなく、中身が突然なくなってしまったような感じだった。
ようやく自分をどうにかしないといけないと思え始めた時に、中身ってなんだっけってなった。
それでも2,3か月はよくわからず。以前の自分の惰性で経済活動をしていたように、以前の自分の惰性で人と会ったり、ライブハウスに行ったりしていた。
そうしていくうちに、自分ってなんだっけとすごく思った。
文字で表せば、歌う人であり、プログラマーであり、陽気な人間であり、ゲーム好きであり、バスケが好きで、人が好きで。
それが自分だったはずだと思った。
そう思えたからといって、やった!見つけた!となるわけはなく。
起こってしまったいろいろなことから逃れるように、熱中できるものに没頭した。
ゲームだったりDIYだったり。
その流れで、ひとつ試してみたことが、好きなものだけを部屋におく、だった。
意外にもそれがすごく良かった気がする。
以前の自分に戻れないということに気づけた。
以前好きだったものがそのまま全て好きかといわれるとそうじゃないし、逆に新しく好きになったものだってあった。
そしてなにより、誰の目も気にせずに自分だけの生活で、世界で、過ごせる場所ができた。少し寂しいときもあるけれど、それが今の自分には必要だったんだと気づけた。どうにかしたいと思い始めてから半年以上たったけれど。
このブログも似たようなもので、好きなものだけを詰めた部屋のように、好きだったもの、好きなもの、嫌いだったもの、嫌いなものを残し、以前の自分と今の自分が違うところ、同じところを認識したいと思った。
あと、今の自分に加えて、今からの自分というものに、継続していく何かがきっとプラスになるだろうと思ったから。
きっと、また迷う時が来るのだと思う。自分ってなんだっけって。
それに継続していることがあるというのは、割と自信につながる気がしてる。自信がある人は強い。優しくも強くありたい。
このブログを始めるにあたって、いろんな自分ルールを決めていて、きっと君にはどうでもいいことなんだとは思うけれど、ルールがあるというのは場合によっては、少しやりやすくなることもあると思ってる。また今度説明する機会があればいいなと思ってる。
ちなみに、正直に言うと毎日読んでくれる人がいるなんて始めるときは思わなかった。それが一人だけじゃなくて、10人近く(もしかしたら入れ替わりの10人で本当は2,3人かもしれないけれど)いるということがすごく嬉しい。
今度、友達に会ったら教えてあげようと思う。何かを隠すことで美徳に思えるエゴがあるのも知っているけれど、それを説明するのもたまには悪くないよ。って。
知らないうちに、知らないところで、変わり続けるよね。
小さな変化だとしても。